日野原重明 死去日時/年齢/葬儀日程/死因まとめ!経歴が偉業すぎてやばい!

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知人に、日野原重明先生(聖路加国際病院)が死去されたニュースが本当だったと聞きました。医学会では有名な方らしく、その悲報に動揺する方が多いみたい。日野原重明先生の死去日時はいつ?年齢は?死因は?葬儀の日程などについて詳しく書いていきますね。100歳を超えても現役医師である続け、「生活習慣病」の名付け親でサリン事件の受け入れもした名医の日野原重明先生。彼の経歴やプロフィールについてもまとめました。

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日野原重明先生は医学会では有名だと聞きました。
世間でも、その死を悼む声が本当に多いのがわかります。
そして、何より”偉大”出会ったことが多くの証言からも明らかです。

まずは、死去速報についての情報をまとめますね。

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日野原重明 死去日時や年齢は?葬儀の日程は?死因は呼吸不全!

日野原重明 死去はいつ?
2017年7月18日午前6時33分

日野原重明 死因は?
呼吸不全のため

■呼吸不全とは?
呼吸不全と一口に言っても、慢性のものと急性のものがある様です。急性はもともと肺に異常がなかったひとが肺炎や敗血症などが原因で急に酸素を取込めなくなった状態です。 酸素吸入だけで治らない重症になると人工呼吸を行うことが必要になります。 一方、慢性呼吸不全は肺そのものの疾患のために酸素が取込めなくなっている状態です。 代表的な病気は慢性閉塞性肺疾患(COPD)です。

(引用 一般財団病院 太田総合病院
→日野原重明 先生がどちらだったのかという情報はまだ入っていない様ですが、ここ最近まで公演の活動などをされていた様ですから、急性のものかもしれませんね。

日野原重明 年齢は?
105歳

葬儀の日程は?
通夜・お別れの会は関係者で行うそうです。
葬儀日時:29日午後1時から
葬儀場所:東京都港区南青山2の33の20の東京都青山葬儀所

日野原重明先生を改めて振り返る!名医の経歴やプロフィールについてまとめ

▼日野原重明先生 画像

(出典 雑誌「ハルメク」

1911年10月4日、山口県山口市湯田 出身

■経歴

1937年 京都帝国大学医学部卒業
1941年 聖路加国際病院内科医
→以来、内科医長、院長代理、院長
→現在は、学校法人聖路加国際大学名誉理事長、聖路加国際病院名誉院長、一般財団法人ライフ・プランニング・センター理事長などを兼任
→診療のかたわら、病院関係者の力を総合した「チーム医療」の重要性を主張して、看護師の教育に力を注ぐ
1954年 民間病院でははじめて「人間ドック」を導入

■受賞歴
1998年東京都名誉都民
1999年文化功労者
2005年文化勲章

(参考 雑誌「ハルメク」

日野原重明先生にまつわる偉業がすごすぎる!「生活習慣病」の名付け親でサリン事件の受け入れもした名医の偉業の数々!

普段使っている「生活習慣病」の名付け親!
日野原重明先生は1970年代頃から「生活習慣病」について予防医学を提唱し続けました。96年には、旧厚生省が成人病を「生活習慣病」と改称し、世間にも普及しましたがその第一人者。

一方でこんな出来事も。

1970年 よど号ハイジャック事件に巻き込まれ・・・

4日間、人質として拘束されます。韓国の金浦国際空港で解放されましたが、犯行グループが「この飛行機は我々がハイジャックした」という犯行声明に対し、「ハイジャック」の意味を知らなかった日本人乗客の為に日野原重明氏は自ら手を挙げ、「ハイジャックとは飛行機を乗っ取って乗客を人質にすることです」と機内で説明するほど落ち着いた対応を見せていたそうです。

また、1995年3月20日、地下鉄サリン事件では、被害者の受け入れ!

日野原重明(聖路加国際病院) は、事件後直ちに当日の全ての外来受診を休診にして被害者の受け入れを無制限に実施したことでも有名。同病院は被害者治療の拠点となり、朝のラッシュ時に起きたテロ事件でありながら、犠牲者を最少限に抑えることに繋がったと評価されています。

■地下鉄サリン事件とは?
営団地下鉄(当時)の3路線5両にて化学兵器のサリンが散布され6300人以上の死傷者を出した事件。東消庁の化学機動中隊や陸自第101化学防護隊などが測定及び除染を行った。

(出典 ツイッター

著書の『生きかた上手』は120万部を売り上げるベストセラー。

日野原重明先生は、は100歳を超えてなおスケジュールは2、3年先まで一杯で人気講師としての顔もお持ち。乗り物でのわずかな移動時間も原稿執筆に使い、 日々の睡眠時間は4時間半、週に1度は徹夜をするという生活を送っていたという情報も。

(出典 ツイッター

しかし、96歳にして徹夜をやめ、睡眠を5時間に増やしは少なくとも 110歳まで現役を続けることを目標にしていたと言います。今日呼吸不全のためになくなったのは本当に無念ではありますが、今日の今日まで105歳にして現役であり続ける。そして、その生涯の中で、医学会にもたらした影響は本当に偉大なものだったことがわかります。

改めて、日野原重明先生にはご冥福をお祈り申し上げます。

著書、手にとって読んでみますね。

(参考 地下鉄サリン事件で日比谷線が最も多くの犠牲者を出したのはなぜか?

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