阿久悠の死因は尿道癌!家族:息子太郎は現在”阿久悠取締役”で総資産100億円!

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8月26日の24時間テレビ「時代をつくった男 阿久悠物語」(夜9時頃から放送予定)で、阿久悠(=本名 深田公之・ふかだひろゆき)さんの半生が描かれます。演じるのは、亀梨和也さん他豪華キャスト陣。阿久悠さんといえば、5000曲以上の作詞を手掛け「怪物ヒットメーカー」と呼ばれ、現在でも総資産は100億円と言われる。2007年に尿道ガンのため死去したが、死後の嫁深田雄子さんや息子の深田太郎さんはどのように現在についてまとめました。

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24時間テレビでは恒例の特番ドラマで「時代をつくった男 阿久悠物語」が放映されます。

阿久悠さんと本人を取り巻く家族やともに昭和の名曲を作り上げた人々を亀梨和也さん他、豪華キャストを迎え園半生を再現するとあって、話題に。24時間テレビドラマでは、有名人が取り上げられる初作品でもあります。

阿久悠さんとはどんな方だったのでしょうか。

阿久悠(=本名 深田公之)さんのプロフィール


(出典 https://twitter.com/zakdesk/status/895121461895147520)

・本名 深田 公之(ふかだひろゆき)
・生年月日 1937年2月7日ー 2007年8月1日
・出身 兵庫県津名郡鮎原村(現:洲本市五色町鮎原)
・家族 父は兵庫県警巡査で転勤族
・最終学歴 明治大学文学部卒
・職業 作詞家・放送作家・小説家

日本の作詞家とありますが、なんとその数は5000曲以上。その中には、昭和の名曲として有名な、石川さゆり「津軽海峡・冬景色」、ピンク・レディー「UFO」、西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」、都はるみ「北の宿から」など誰もが知る数々のヒット曲を生み出したことで「怪物ヒットメーカー」との異名も持ちます。阿久悠さんは一体どのようにして名曲を生み出していったのでしょうか。その原点は阿久悠さんの生い立ちにありました。

阿久悠(=本名 深田公之)さんの生い立ちと”阿久悠”の誕生秘話

8歳で終戦を迎えた1937年の生まれ。
小さい時からラジオと野球に夢中になった阿久悠さん。しかし、中学2年生の時「結核」にかかり、半年間休学しました。その経験から、運動ができなくなった阿久悠さん、将来は小説家など身体を動かさなくてもいい仕事を目指すようになりました。▼高校時代は、本をよく読み、映画館によく通ったそうです。


(出典 https://www.youtube.com/watch?v=yODClQ-RdFk&t=625s)

高校卒業後は、明治大学に入学、同時に上京します。在学中、実家からの仕送りは全て映画に消えて行きましたが、人とは違ったセンスや知識はそこで身に付いたとか。

大学を卒業後は、1959年(昭和34年)に▼広告代理店・宣弘社へ入社。

(出典 https://www.youtube.com/watch?v=yODClQ-RdFk&t=625s)

そこで、▼漫画家の上村一夫さんと出会います。上村一夫さんは、ドラマの中では田中圭が演じる高校代理店時代の同僚です。性格は正反対でしたが阿久悠さんが唯一仕事の苦悩を語れる良き相談相手。また、二人は阿久悠さんが作詞、上村一夫さんがそれに曲をつけるなどしていたそうです。まさにこの期間こそ、阿久悠さんの原点、歌謡曲の”修行時代”でもありました。

(出典 https://www.youtube.com/watch?v=yODClQ-RdFk&t=625s)

その後、阿久悠さんは、コピーライター・CM制作を手がけながら、1964年(昭和39年)から放送作家としても活動するようになります。しかし、副業禁止の時代、会社にバレることを恐れペンネーム”阿久悠”を誕生させます(ペンネームの由来は「悪友」から)▼しかし、本格的に放送作家としての道を歩むこと、それにさしあたり2−3年で会社を辞めることを決めていた阿久悠さん。その言葉通り、29歳の若さで1966年(昭和41年)宣弘社を退職します。


(出典 https://www.youtube.com/watch?v=yODClQ-RdFk&t=625s)

30代を迎えると日本テレビのオーディション番組 『スター誕生!』に番組企画・審査員としてかかわるようになり、日本全国にその名を轟かせるようになりました。

阿久悠(=本名 深田公之)さんの「スター誕生」放送作家としての活躍時代

スター誕生とは、各芸能プロダクションの担当者が目に付いた出場者に札を挙げるというもので、要は”ドラフト”として馴染みは深いが、この鉄板スタイルを生み出したのはまさに阿久悠さん自身。ピンクレディを生み出したのも、この時。

”テレビ”という日常性を最大限に利用して作り出す非日常性。
これをピンクレディの基本路線として決めた。安全策を取っても仕方ない。
彼女たちに”大化けの目”があるとすれば、それは尖った、かつ、
面白い企画を提げてデビューさせることでしか実現しないことだった。
”大化け”か、”大コケ”か、まったく先の見えない大きな”かけ”だった

とピンクレディのプロデュースについては、かけであったことも明かしています。しかし、それは偶然だったのでしょうか。怪物ヒットメーカー阿久悠さんがヒットを生み出し続けた秘密は何だったのか。

生前残した言葉に、

「感動する話は長い、短いではない。3分の歌も2時間の映画も感動の密度は同じである 」

(引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E4%B9%85%E6%82%A0)
と、たった4分間の曲の中に、一本の映画を盛り込むようなことができないかと、常々考えていたようです。阿久悠の作詞家憲法13条では、

歌にならないものは何もない。例えば、一編の小説、一本の映画、一回の演説、一周の遊園地、これと同じボリウムを4分間に盛り込むことも可能ではないか。

(引用 https://www.youtube.com/watch?v=yODClQ-RdFk&t=625s)
と記しています。

また、プロディースするアイドルたちに対しては、”学校の先生”であるかのような面持ちで、うまく進学させてやりたい、卒業させてやりたいと親身になるようなことがあるようです。作詞家はレコーディングにはこないのが一般的だったが、一緒にレコーディングに付き添っていたというエピソードも残っています。

作詞においても天才であるなら、プロデュースの天才でもありました。しかし、後進の作詞家である松本隆や秋元康らが台頭するようになると小説執筆や演歌の作詞などに比重を置きます。1982年(昭和57年)には『殺人狂時代ユリエ』で第2回横溝正史ミステリ大賞を受賞するなど小説家としても活躍され、1997年(平成9年)、30年間にわたる作詞活動に対して、日本文芸振興会主催による第45回菊池寛賞を受賞。さらに1999年(平成11年)春、紫綬褒章を受章するなどしています。

しかし、ついに身体に不調が現れます。

阿久悠(=本名 深田公之)さんの死因は尿道ガン!

腎臓ガンです。

2001年9月12日に癌の摘出手術を受け、それ以降病身を押してまで活動を続けていましたが、2007年(平成19年)8月1日午前5時29分、尿管癌のため東京都港区西新橋の東京慈恵会医科大学附属病院で死去。70歳でその生涯に幕を閉じました。

各界から、その詩を悼む声が聞かれ、また国からは多年に亘る歌謡界への功績を高く評価し、死去した2007年8月1日に遡って旭日小綬章を授与することを9月7日の閣議で決定。さらに、第49回日本レコード大賞では特別功労賞、第45回ゴールデン・アロー賞では芸能功労賞が贈られ、2010年には明治大学アカデミーコモン地階に阿久悠記念館が開設されるなど、死後においてもその影響力が非常に高かったことを物語っています。

それもそのはず。阿久悠さんが生涯に渡り作詞をしたその延数は、5000曲以上。レコードやCDの総売上枚数は約7000万枚になる。ここで気になるのは、印税ですよね。たとえ、阿久悠さんが亡くなったとしても彼の残した遺産は大きいものに違いありません。残された遺族は一体どれほどの印税を受けとることになるのでしょうか。

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阿久悠(=本名 深田公之)さん死後も受賞をし続けた結果、資産は100億超!

ある音楽関係者の話によれば、

「阿久さんは“歌詞印税”だけで年間数億円を稼いでいました。トップクラスの作詞家にはJASRACから年間3億円近い印税が支払われていますが、ヒット曲だらけの阿久さんは別格で、トップクラスを軽く上回っているといわれています。高額納税者番付でも常連。05年は1億9000万円、04年は2億3100万円の収入がありました。静岡にある自宅や都内の仕事用マンションなどを含めると、総資産は100億円という声まであがるほどです」

■CD売上における印税額は、1枚CDが売れると、
・作詞家に1.5%
・作曲家に1.5%
・歌手や演奏者に1%
入ると言われています。2015年時点で、歴代作詞家 総売上枚数が秋元康さんに次いで二番目に多く、6834.0万枚。単純計算しても10億はCDの売り上げだけで印税が入っていることになります。

なお、静岡のご自宅ってどこだろうと個人的にはとても気になってしまいまして、調べましたが、さすがに出てこないかなと思ったのですが、「宇佐美ポケットパークに設置された阿久悠さんの顕彰碑の除幕式が行われました。」との記事を発見!▼実は、静岡県伊東市の市政50周年を記念して阿久悠さんから伊東市へ「蜜柑と魚と」というタイトルの詩が贈呈されていました。


(出典 http://blog.goo.ne.jp/141sekizai/e/158629d9926425e010d0ffeaeee64558)

もしかしたら、ご自宅と言うのは静岡県伊東市宇佐美にあるのかもしれませんね。割と東京から近いですし、別荘として構えるのにもちょうど良い立地です。

阿久悠(=本名 深田公之)さんの家族は?嫁と息子の現在について

こういった多額の資産を受け継ぐ遺族は、▼妻の深田雄子さんと、ひとり息子の深田太郎さん。


(出典 https://ameblo.jp/akuyoutomisae/entry-11066076961.html)

1964年、職場結婚した深田雄子さん。一年後、1965年に息子の深田太郎さんを出産します。
しかし、当時放送作家として多忙を極めた阿久悠さんは2から3ヶ月に一度家に帰るくらい。実質的には女手一つで太郎さんを育て上げた、母子家庭と言ってもいい状況だったそうです。

▼妻の深田雄子さんと、ひとり息子の深田太郎さんの現在


(出典 http://m.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/01/17/gazo/G20140117007401250.html)

また、▼一人息子の深田太郎さんは、現在40代。


(出典 https://academy.meiji.jp/course/detail/1621)
マスコミ関係者によれば、

「父親の名前があってもなかなか成功できない状態で、音楽業界では“不肖の息子”という人もいます。今年は3月から月1回ペースで開催されているライブショー『阿久悠を唄う』に出演している。さまざまな分野のミュージシャンが集まって、阿久さんのポップス調の曲を中心に演奏するライブに個人で参加してます。会場はスタンディングで150人規模のライブハウスだからそれほどの稼ぎにはならないでしょうが、太郎さんにとっては重要な音楽活動なのでしょう」

(引用 http://www.asyura2.com/07/news5/msg/577.html)

と音楽家としては。いまひとつパッとしない模様です。楽曲提供をしたり、バンドのギタリストとして活動はしているのですが、父”阿久悠”の名を借りても難しいようです。また、独自調査の結果、明治大学の吉田悦志の国際日本学部講義「近代日本の文芸」において、株式会社阿久悠取締役として、学生に「阿久悠を語る」という対談授業を行ったそうです。
(参考 https://academy.meiji.jp/course/detail/1621)

とはいえ、阿久悠さんが生きた時代と現代とでは、ヒットの定義も違ってきています。もし、阿久悠さんが平成の世でもなおヒット曲を生み出すとしたら、どんな曲をどんな歌に乗せてどんな時代を私たちに届けてくれるのでしょうか。それとも、こんなことを考えてしまう私が愚者でしょうか。阿久悠さんは生前、こんなことを語っています。

「昭和と平成の間に歌の違いがあるとすれば、昭和の歌には人に伝えたいことがあり、平成の歌は自分だけを語っているということです。それを「私の時代」というのなら、僕はむしろ「私を超えた時代」の昭和という時代を愛します」

(引用 インタビュー「歌謡曲の向こうに昭和という時代が見える」、『阿久悠 命の詩』所収

”阿久悠”が昭和の時代を作ったのではなく、昭和の時代が”阿久悠”を作ったのかもしれません。

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