阿久悠の名曲集!山口百恵との因縁対決「百恵無色」の真相とは?

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阿久悠(=本名 深田公之・ふかだひろゆき)さんは、名曲「勝手にしやがれ」や「せんせい」などで知られる。昭和の歌謡曲時代を盛り上げた”怪物ヒットメーカー”は、『スター誕生!』番組内で山口百恵さんに「あなたは青春ドラマの妹役なら良いけれど歌手は諦めた方が良い」と発言。どうやら過去に確執があった模様。阿久悠はなぜ山口百恵の作詞を担当しなかったのか、その真相に迫りました。

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24時間テレビでは恒例の特番ドラマで「時代をつくった男 阿久悠物語」が放映されました。

阿久悠さんとはどんな方だったのでしょうか。

阿久悠(=本名 深田公之)さんのプロフィール


(出典 https://twitter.com/zakdesk/status/895121461895147520)

・本名 深田 公之(ふかだひろゆき)
・生年月日 1937年2月7日ー 2007年8月1日
・出身 兵庫県津名郡鮎原村(現:洲本市五色町鮎原)
・家族 父は兵庫県警巡査で転勤族
・最終学歴 明治大学文学部卒
・職業 作詞家・放送作家・小説家

彼の生い立ちと家族、嫁の深田雄子さんや、息子の深田太郎さんについてはこちらの記事で詳しく書いています。→阿久悠の死因は尿道癌!家族:息子太郎は現在”阿久悠取締役”で総資産100億円!

日本の作詞家とありますが、なんとその数は5000曲以上。その中には、昭和の名曲として有名な、石川さゆり「津軽海峡・冬景色」、ピンク・レディー「UFO」、西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」、都はるみ「北の宿から」など誰もが知る数々のヒット曲を生み出したことで「怪物ヒットメーカー」との異名も持ちます。

阿久悠(=本名 深田公之)さんの名曲集!

 
沢田研二「勝手にしやがれ」

森昌子「せんせい」

石川さゆり「津軽海峡・冬景色」

ピンク・レディー「UFO」

西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」

桜田淳子 「わたしの青い鳥」

阿久悠さんが作詞を担当した数は5000曲と言われますので、膨大ですが、中でも音楽賞を受賞した作品は以下の通り。

■日本レコード大賞での大賞受賞曲は、作詞家として最多の5曲
1971年「また逢う日まで」尾崎紀世彦
1976年「北の宿から」都はるみ
1977年「勝手にしやがれ」沢田研二
1978年「UFO」ピンク・レディー
1980年「雨の慕情」八代亜紀
(引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E4%B9%85%E6%82%A0)

■日本レコード大賞の作詩賞受賞は7回で最多記録
1973年「ジョニィへの伝言」ペドロ&カプリシャス。「じんじんさせて」山本リンダ
1975年「乳母車」菅原洋一
1985年「夏ざかりほの字組」Toshi & Naoko(田原俊彦・研ナオコ)
1986年「熱き心に」小林旭
1990年「花(ブーケ)束」八代亜紀
1994年「花のように鳥のように」桂銀淑
1996年「螢の提灯」坂本冬美
(引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E4%B9%85%E6%82%A0)

■日本作詩大賞は8回受賞で最多記録
1974年「さらば友よ」森進一
1976年「北の宿から」都はるみ
1977年「勝手にしやがれ」沢田研二
1981年「もしもピアノが弾けたなら」西田敏行
1982年「契り」五木ひろし
1984年「北の螢」森進一
1988年「港の五番町」五木ひろし
2002年「傘ん中」五木ひろし

(引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E4%B9%85%E6%82%A0)

生前残した言葉に、

「感動する話は長い、短いではない。3分の歌も2時間の映画も感動の密度は同じである 」

(引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E4%B9%85%E6%82%A0)
と、たった4分間の曲の中に、一本の映画を盛り込むようなことができないかと、常々考えながら作詞をしていたようです。また、スターの原石を探すオーディション番組『スター誕生!』では、審査員を務め桜田淳子、渋谷哲平、岩崎宏美、森昌子、ピンク・レディなど数々のスターを生んできました。

今回、取り上げる山口百恵もその一人ですが、これだけ多くのスターを生んできた阿久悠さんが、なぜか山口百恵の作詞だけは担当しなかったそうなんです。続いて、この謎に迫ります。

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山口百恵さんのプロフィール


(出典http://yamagutimomoe.com/)
・本名 三浦 百惠(みうら ももえ)
・生年月日 1959年1月17日(58歳)
・出身 東京都渋谷区恵比寿
・配偶者 俳優の三浦友和
・長男 シンガーソングライター・俳優・歌手の三浦祐太朗
・次男 俳優の三浦貴大

山口百恵さんは、当時13歳でオーディション番組『スター誕生!』に出演。牧葉ユミの「回転木馬」を歌い20社からオファーを受けます。番組出演のきっかけは、同い年の森昌子がテレビで活躍しているのを見て自分も森昌子さんのようになりたいと思ったことによります。森昌子さんは本名、森田昌子。『スター誕生!』番組内でやっと見つけた原石。和田アキ子さんを夢見た少女は、中学校との勉強との両立を条件に母親の反対を押し切ってデビューします。しかし、山口百恵さんの場合はまた少し違っていました。

「あなたは青春ドラマの妹役なら良いけれど歌手は諦めた方が良い」

(引用https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%99%BE%E6%81%B5#cite_note-12)なんと審査員の阿久悠からこんな言葉をいただいたとか。

阿久悠と山口百恵の因縁対決は、阿久悠の一言から始まった

萩本欽一に話題を振られた山口百恵さん、スター誕生7周年記念大会にて当時を回想しています。

萩本欽一「百恵ちゃんは、どんな思い出が?」
山口百恵「阿久先生に・・・」
萩本欽一「あの〜今日は風邪をひいちゃって・・・(阿久悠は欠席)なんて言われたの?」
山口百恵「”歌手には向かない”って」
(一同、一瞬固まる)
萩本欽一「どこ見てたんだろうね〜いないからいうわけじゃないけど」
(萩本欽一のフォローで巻き返す)
萩本欽一「その時はやめようと思った?」
山口百恵「いや〜でもね。映画とかで誰かの妹役でデビューすればもしかしたら使えるかもしれないって言われてなんとなくその辺に救いを求めていたんですけど・・・」

阿久悠から、歌手には向かないと言われた山口百恵さん。動画で見るように、彼女はそのことについて、歌手がダメなら、妹役として女優デビューもありかななんて思っているようにも見えます。しかし、心のうちはというと、

本番になった。ドキドキする胸を押さえながら歌った。審査員のひとりが批評した。
『君は、例えば誰か青春スターの妹役みたいなものならいいけど、歌は、、、、、あきらめた方がいいかも知れないねェ』

僅かながら持ち合わせていた自信は、ガラガラと音をたててくずれてしまった。それでも、規定以上の点数を集めた私は合格、決戦大会への出場が決まった。

(引用 http://blog.livedoor.jp/momoe17/archives/39529722.html)

もちろん、この審査員の一人というのは阿久悠さんのことです。山口百恵さんはわずかに持ち合わせていた自信、それを失うほどの大きな衝撃を受け取ったと、そう『蒼い時』(80年)という書き下ろしエッセイで語っているのです。

阿久悠”百恵無色”失言はの胸の内にあるものとは?

阿久悠さんは一体このときどのような胸中にあったのでしょうか。阿久悠著『夢を食った男たち―「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代』によれば、

弁解するつもりも、不明を恥じるつもりもないが、あの時では、あれでも最大の褒め言葉であった。 妹役程度の女優にしかなれないという意味ではなく、妹役なら、何の努力もなく、この場からドラマのスタジオに連れて行っても、すぐに存在を示せるという評だったのである。

(引用 http://blog.livedoor.jp/momoe17/archives/39529722.html)

確かに、▼山口百恵さん当時13歳とはいえこの美貌。

(出典 http://yamagutimomoe.com/)

さらに、14歳

(出典 同上)

15歳と続き、▼この年には映画初出演の三浦友和さんと共演した東宝映画「伊豆踊り子」で初主演。


(出典 同上)

以後、三浦友和さんとは、映画やCMでも共演を果たし、▼1979年10月20日、大阪厚生年金会館のリサイタルで恋人宣言。翌1980年3月7日には三浦との婚約発表と芸能界引退を公表しました。


(出典 同上)

その原石を阿久悠さんは、早くも見出していたのかもしれません。あるいは、このとき阿久悠は、/桜田淳子「わたしの青い鳥」のプロデュース中でこちら集中したかったのではないかとの見方もあります。さらに、阿久悠さんはこうも語っています。

時代との添い寝の仕方を芸術的に理解していたのが、山口百恵であったのではなかろうか。ぼくが、「百恵無色」と云ったのは無個性の意味ではなく、時代の変化が肌に透けて見える特異な表現者の体質、ということなのである。だからこそ、人の目には、菩薩に見え、妖女に見え、聖女に見えした。

山口百恵のための詞を一編も書いていない。毎週のように同じスタジオで顔を合わせていながら、親しく話をしたこともなかった。遠いのである。それは、彼女に凛としたものが備わっていて、軽々しく声をかけられない雰囲気があったからで、彼女は十四歳、こちらは三十歳をこえているのに妙なことだが、恐かった。今もって恐い。だから、ただの時代の男のように、変幻自在の女神の存在を口をポカンと開けて見ていることにしたのである。

(引用 http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Drum/9667/sub19.htm)

とも語り、
・山口百恵のために作詞はしていないこと
・対面しても親しく話をしなかったこと
・その理由は、彼女の雰囲気が恐かったからであり、遠かったからである
・山口百恵は、時代の変化が肌に透けて見える特異な表現者の体質を持つ”変幻自在の女神”の存在であるとたとえていること

などが記されています。
変幻自在というのは、要は役者や女優としての才能を感じているということ。
それはまるで、菩薩に見え、妖女に見え、聖女に見えたということなのでしょう。

阿久悠さんと山口百恵さんの因縁対決「百恵無色」の真相は、山口百恵がまるで菩薩、妖女、聖女と姿を変える”変幻自在の女神”の存在だったからなのです。

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2 件のコメント

  • いろいろ書かれておりますが
    結局、第一印象でタイプじゃなかったと言うことだと思います。
    天才ゆえに自分が思い描く夢見る中学生の枠からずれ
    彼女が生きる為にここにいる本質を看破し、幻滅。
    家族を支える妹像が見えたのかもしれません。

    不幸な過去を隠して居るような彼女がホリプロの逆転の発想でひねり出された
    青い性のいろもの路線で
    隠しているものを生活から性に変換することで不思議な魅力と大当たり。
    そんな路線では正統派の先生の出番はなく。

    連続ヒットで自信を手に入れ、
    映画競演で三浦友和という男にホの字を抱き、
    過去の反動から憧れや恋愛が現実化して行く充実感で
    通常の2倍3倍の幸せオーラを纏った彼女の輝きはみんなの憧れの具現化と崇められ、
    あっと言う間に大スターになった彼女にわざわざ先生を頼る選択肢は無いと言うことで・・・。

    「百恵無色」とは先生が搾り出した殆どの芸能界のスター達に当てはまる
    最大級の褒め言葉かつ的を射たアイロニーなのだと思ってます。
    ^^

    • 木下馬吉郎 さん  コメントをありがとうございます。結局、第一印象でタイプじゃなかった、そうかもしれません。阿久悠先生の後から付けた様な言い訳じみた褒め言葉、なんとなく違和感を抱いておりました。また何かお気付きの点などありましたらコメントくださると、励みになります。どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。

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