今明秀医師の経歴が漫画に【情熱大陸】失敗談をバネにプリベンタブルデスゼロへの挑戦

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2018年2月11日(日) 23時00分~23時30分 の情熱大陸では、”ミスター救命救急”の異名を持つER(救急専門外来)救命医の今明秀(こん・あきひで)が登場。一年間で2万4千人あまりの救急患者を受け入れるという八戸市立市民病院救命救急センター「八戸ER」のセンター長を歴任後、2011年からは八戸市立市民病院 副院長を兼務し、現在は、2017年より八戸市立市民病院 院長に就任。しかし、過去にはあまりにも僻地のために患者を救えなかったという苦い経験も。こうした失敗談から、ドクターヘリ体制の確立に尽力するなどその功績は大きい。またこれら今明秀医師の経歴は、漫画『救命救急日記』で見ることが可能だ。

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今明秀が思う救命医の使命とは

防ぎ得た死=プリベンタブルデスこれをいかに少なくするか、それが救命医の使命だという今明秀医師。
八戸市立市民病院は、八戸市に昭和33年に設置された総合病院ですが、全国でもトップクラスの救命救急医療体制が整っていることで全国的にも有名。この病院の救命救急センター「八戸ER」センター長を務める人物こそが、今明秀医師。

今明秀医師がドクターGで語った胸の内とは?

重症な患者さんが目の前に運ばれてきたとき、皆さんどうするでしょう。迷うと思います。経験をいくら積んでもやっぱり迷うことがあるんです。そういうとき、いつも考えていることがあります。目の前に運ばれた患者さんを自分の家族だと思って判断すると、決断が早いです。迷いはすぐ無くなります。家族だと思うと判断は速く、処置は早く、手遅れにならずに済みます。いっしょにやりましょう、一緒に日本を救いましょう。

(引用元:Gメッセージ – 総合診療医 ドクターGより

今明秀医師の経歴から見る現在|八戸市立市民病院の院長に就任


1958年青森県出身、年齢は59歳の今明秀医師。1983年に自治医科大学を卒業後、倉石診療所、大間病院などで僻地医療を5年、その後に外科医師を8年。1998年日本医大救急医学教室に入局し、川口市立医療センター救命救急センターで重症救急を6年間。そして、現在いる2004年に八戸市立市民病院救命救急センター所長に赴任。2011年からは八戸市立市民病院 副院長を兼務し、現在は、2017年より八戸市立市民病院 院長に就任。

主な略歴

1983年自治医科大学卒業
1983年青森県立中央病院 研修医
1985年倉石村国保診療所 所長
1986年公立野辺地病院 外科
1988年六戸町国保病院 外科
1990年青森県立中央病院救命救急センター 外科
1991年下北医療センター国保大間病院 外科副医長
1993年公立野辺地病院 外科副医長
1998年日本医科大学救急医学教室に入局
川口市立医療センター 救命救急センター
2004年八戸市立市民病院 救命救急センター所長
2011年八戸市立市民病院 副院長
2017年八戸市立市民病院 院長

(引用元:今 明秀医師原作・監修の医師マンガ「青森ドクターヘリ 劇的救命日記」)

全国でもトップクラスの救命救急体制を組織してきた人物として知られているが、就任当初、あまりにも僻地のために患者を救えなかったという苦い経験もしてきた。

今明秀医師の経歴を漫画『救命救急日記』で見る

それは、今明秀医師が、八戸市立市民病院救命救急センターに就任したての2004年のこと。
もともと、、川口市立医療センター救命救急センターに勤めていた頃から、「青森県の僻地医療をよりよくしたい」との思いを抱き、就任したものの、医療体制は整っているとはいえず、「もっと早く病院に運ばれていたら」という悔しい思いをしてきたという。

その多くは、防ぎ得た死=プリベンタブルデス。
しかし、この地域の人たちは、これが理由による死を「仕方のない」ことだと諦めていたけらいがあった。
そこから、今明秀医師が、プリベンタブルデスをゼロにするために、ドクターヘリを整え、地域の救命救急体制を整えようと決めたきっかけがある。

こちらの漫画『救命救急日記は、原作・監修ともに今明秀医師が勤めている。

(出典元:今 明秀医師原作・監修の医師マンガ「青森ドクターヘリ 劇的救命日記」)

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