エビータ(エバペロン)大統領夫人への生い立ち経歴・死因とミイラ化画像,場所

この夏、注目度No.1のミュージカルエビータ』が、2018年7月(7月4日 – 7月29日)に渋谷ヒカリエ(渋谷区渋谷2)のミュージカル劇場「東急シアターオーブ」にて、初来日公演を行うことが決定!アルゼンチンのフアン・ペロン大統領夫人として国民から愛されたエヴァ(エバ)・ペロン(愛称:エビータ)の生涯を綴った物語。

そこで、今回は、”エビータ”こと本名・マリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン(María Eva Duarte de Perón)(以後、エビータ)の半生に迫ります!

エビータは、1952年、がんのため33歳で死去。波瀾万丈な33年間の人生を経て、死後、アルゼンチンの首都、ブエノスアイレス『レコレータ墓地(Cementerio de La Recoleta)』にミイラ化され、今でも英雄として讃えられています。

ミュージカルエビータ』あらすじ(ストーリー)動画

強く逞しい女性の象徴として“エビータ”の愛称で慕われた実在の女性、エヴァ・ペロン。
恵まれない境遇に生まれながらもモデルや女優を経てアルゼンチン大統領夫人にまで昇り詰めた彼女は、果たして聖女なのか、それとも悪女なのか─?

自らの意志をもって貧しい人たちへの慈善活動に情熱を注ぎ、国民の愛を一身に受けた彼女の人生は、33年という短さで幕を閉じます。

と、いうストーリーで展開されるミュージカル作品。

  • とき:2018年7月(7月4日 – 7月29日)
  • 場所:渋谷ヒカリエ(渋谷区渋谷2)のミュージカル劇場「東急シアターオーブ」
  • 公式サイト:http://evita2018.jp/index.html

ミュージカルエビータ』題材は実在する人物:エバペロン大統領夫人

「エビータ」初心者である私。エビータって本名?実在するの?
と、いろいろ調べていくうちに、彼女の数奇な人生に心打たれてしまいました。

  • エビータとは、世に言うあだ名。
  • 本名は、マリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン(María Eva Duarte de Perón)

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エビータ(エバペロン)大統領夫人に昇りつめるまでの生い立ちと経歴

エビータは既婚の男の愛人の子としてアルゼンチンの貧しい片田舎に生まれます。
4人の兄姉とともに、裁縫をする母の手一つで育てられ、「私生児(婚姻関係にない男女の間に生まれた子供のこと)」であったために、不遇な少女時代を送ったことが彼女を追い立てたのでしょう。実際に、「子どもの頃から世の中の不公平に怒りを覚えた」と、逆境を跳ね返して女優になろうと15歳で家出します。

15歳で家出ってなかなか、難しいことだと思いますが、ちなみに千原ジュニアは14歳で実家の京都から大阪まで芸人をめざして家出しています。家出というより、それは自立。早いか、遅いか、ただそれだけの違いだったのかもしれませんね。

話はそれましたが、巡業に来た男性歌手に無理やり同行して首都・ブエノスアイレスに辿り着いた彼女は、ラジオ番組に出演したことを機に一躍有名に。

エビータ(エバペロン)大統領夫人の結婚馴れ初め

地震の被災者へのチャリティーショーでエビータは、当時、陸軍大佐として軍事政権を動かしていたペロン大佐(フアン・ペロン(Juan Domingo Peron)氏)の隣に座って話しかけ、彼の心を射止める。強引に彼の家に引っ越し、彼の愛人を追い出して同居。1945年に結婚、2人目の妻となります。

1945年に反ペロンの動きが出ると労働組合の先頭に立って戦います。46年、ペロンが大統領選挙に出馬すると、労働者の味方であると国民に訴え、夫を当選に導くのです。

ファーストレディーになると大きな政治的影響力を振るうようになり、社会の底辺で暮らす人々の保護に努め、貧困層から絶大な人気を得る一方で、地主たちからは「成り上がり女」と軽蔑されるんですね。

<貧しい層からは「聖女」と尊敬され、富裕層からは「悪女」と見られている。>これがいわゆるミュージカルのテーマにもなっています。

エビータ(エバペロン)大統領夫人は財団設立

先にも少し触れましたが、貧しい家に生まれた生い立ちからか、彼女は国内では孤児院や病院建設のための財団を設立しています。

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスのエビータ博物館は、エビータが設立したエバ・ペロン財団の建物です。

ここには、エビータの金属製デスマスクが展示してある他、本人が着たドレスや、財団が貧しい人々に贈ったミシンなどが展示してあるようです。

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エビータ(エバペロン)大統領夫人の死因とミイラ化画像,場所

過労からか病に倒れ、1952年、がんのため33歳で死去した短い人生でした。

死後、遺体はアルゼンチンでミイラ化され展示され、数年後、遺体はイタリアのミラノへ空輸され埋葬。1971年に遺体が発掘され、更にスペインに空輸。その後1976年に発生した軍事クーデター後、ようやくエビータの遺体はアルゼンチンに返還され、現在は、アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスの一等地・『レコレータ墓地(Cementerio de La Recoleta)』にミイラ化され安眠。

(出典元:Travel.jp

ここは、アルゼンチンで最も格式の高い、由緒のある墓地で、歴代大統領や、有名人、実業家、 貴族などが眠っているようで、彼女もまた民衆から愛されていたことがわかります。

フアンペロン大統領の夫人事情・結婚歴

ペロン大統領は生涯3人のお嫁さんをもうけます。エビータは2度目の妻。

最初の妻は30歳で病死し、28歳年下の女性と同居中にエビータが現れます。

エビータが33歳でがんのために死去すると、44歳年下の女子中学生を見そめて同居。

クーデターで地位を追われると亡命先で知り合った36歳年下の踊り子イサベルと3度目の結婚しています。

(出典元:朝日新聞travel

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