鬼塚勝也【画像】絵画センスに絶句…現在は子供のため、博多ジムで個展。結婚し嫁はいる?職業病パンチドランカー、怪我・網膜剥離を克服し。

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4月12日(木)フジテレビ「アウト×デラックス」(よる21時00分~23時28分)では、「SPANKY(スパンキー)K」の愛称で親しまれ、WBA世界スーパーフライ級王者として90年代初期の日本ボクシング界をリードした「鬼塚勝也(おにづかかつや)」さんが出演。職業病パンチドランカーとの噂もあるが、1994年・網膜剥離により引退した鬼塚勝也さん。ボクサーとしてリングに立てなくなった時に、ロスの保育園で保父として子供たちに絵画を披露したところ喜ばれたのをきっかけに、現在は、経営するジム「スパンキーK・セークリット・ボクシングホール」で個展を開催するなど画家、TBSボクシング番組では世界戦などの解説員、ファッションデザイン、アート活動を精力的にこなしていた。結婚はしているのか?家族も、嫁もおらず、現在独身とのこと。しかし、14年前から、柳澤パワー拓(43)と同居wwwww

 

鬼塚勝也「アウト×デラックス」に出演

4月12日(木)フジテレビ「アウト×デラックス」(よる21時00分~23時28分)では、「SPANKY(スパンキー)K」の愛称で親しまれ、WBA世界スーパーフライ級王者として90年代初期の日本ボクシング界をリードした「鬼塚勝也(おにづかかつや)」さんが出演。

ボクシング元WBA世界スーパーフライ級チャンピオン・鬼塚勝也が画家に転身!その変わった創作活動に密着。果たして画家鬼塚の絵の評価額は?

→時価総額、200〜250万円、さらに、5年〜10年先には、10倍になっているかも。

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鬼塚勝也のプロフィール「ボクシング元WBA世界スーパーフライ級王者」

鬼塚 勝也(おにづか かつや)さんは、1970年3月12日 福岡県北九州市生まれの48歳。出身は、豊国学園高校。愛称は「SPANKY(スパンキー)K」の名で親しまれ、鋼鉄の精神力と鋭いワンツーパンチを武器に、WBAスーパーフライ級第5代王者に輝いた。ひとたび試合が決まれば、ファンやメディアに愛想笑いを見せることもなく、「マスコミ嫌い」とささやかれたが、そのクールさや、端整な顔立ちで女性ファンが多かったと言います。

たしかに!48歳となった現在でも、イケメンですね!

鬼塚勝也の経歴と生い立ち

そんな記載のオーラを放つ鬼塚勝也さんですが、「幼少期は身体も弱く喘息などでいつも苦しんでいた」ようで、だからこそ強さへのこだわりは人一倍強く、小学校の時から拳一つで強さを証明する”ボクシングの世界”に魅入られ、チャンピオンを夢見るようになります。

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中学生の時からボクシングジムに通い、豊国学園高校ボクシング部に入部。2年生時にインターハイ・ライトフライ級で優勝。春休み時に単身上京すると高校在学中にプロテスト合格。一旦九州に戻り卒業式を終え18歳の誕生日に上京。4月18日プロデビュー。高校生の時にはボクシング部の練習もしながらジム通いも続け休日には他校の練習にも参加するほど練習好きだったようで、その時の実力は、プロ選手を倒したほどで、トレーナーの古口哲がジムにスカウトするほどだったと言います。

鬼塚勝也の現役時代〜網膜剥離で引退。パンチドランカーに?!

20才で10RTKO勝ちで全日本チャンピオンとなる。月間MVP選手受賞。
その後、WBA世界スーパーフライ級王者となり5度の防衛に成功。アルマンド・カストロ戦などが評価され世界ボクシング協会よりスーパーチャンピオンと認定されスーパーチャンピオンベルトが贈られます。しかし、1994年9月18日、6度目の防衛戦「李炯哲」との試合で、一進一退の攻防が続き初黒星。試合の翌日に網膜剥離により引退を表明。

鬼塚勝也の引退試合の動画VS「李炯哲」

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パンチドランカーの噂もありますが、ボクサーの職業病とも言われるこの病気は、「脳に与えられる脳震盪性、あるいはそれより軽い衝撃による、蓄積性の脳への悪影響。」と定義され、軽度では、手足が震え、軽い運動障害がでる、記憶力、集中力が衰え、感情が鈍く、そして中度では、平衡感覚が悪くなり、運動障害がでる(動作がぎこちなくなる)病気。さらに、重度では、感情の抑制が効きにくく、攻撃性が出やすい。などの症状が出現するようです。

あれから20年、鬼塚勝也さんは、自身のFacebook(フェイスブック)でこんな投稿をされています。

鬼塚勝也 現在は、経営するジムで絵画個展を開催していた

絵画を始めたきっかけは、子供たちを喜ばせたいという一心から

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僕が絵を描いてる事を知ってる人はあまりいないと思う。
ボクサーとしてリングに立てなくなってどう生きていいのかも分からず、言葉の分からないロサンゼルスに行ってスーパーで見つけた求人公告が目に付いて面接に行ったのが保育園。バイトの用なボランティアの用な仕事を二ヶ月弱。子供達の昼寝の時間に絵書いて教室に貼ってたのが喜ばれそこからどんどん描く行為にはまっていった。元、ボクサーが絵書いてると言ってもその行動が薄くとられてもしょうがない。でもリングの上でしか自分を生かす事しかしらず、扱いにくい個性だけが残されてやり場のない状況が続くなか絵を描いてる時だけが自分自身の確認が出来た。そこから20年。

この度、福岡天神のど真ん中で広い空間を使って大規模な展覧会を開催します。

失った20年、ボクサーとしてリングに立てなくなった鬼塚勝也さんは、絵を書き続けていたんですね。実は、小さい頃から絵画が好きだったという鬼塚勝也さん。 落書き程度に続けていた絵画をボクシングを引退したあとも無性に始めたくなったというのです。

鬼塚勝也 結婚し、嫁や家族はいるのか?柳澤パワー拓(43)と同居

家族も、嫁もおらず、現在独身とのこと。

しかし、14年前から、柳澤パワー拓(43)と同居wwwww

彼は、鬼塚に憧れ、弟子入り

ウケる。

現在、鬼塚勝也さんの結婚に関する情報はありませんが、ある時、ロスで見つけた保育園の求人広告。(強面な顔からは想像できませんが、子供がお好きなんですね。)二ヶ月弱のアルバイト期間、自分が描いた絵に喜ぶ子供達の姿を見て、「絵を描いてる時だけが自分自身の確認が出来た。」と創作活動を始めます。
「子供たちが観て元気になれるような絵になってくれれば」という思いで東日本大震災救済応援特別チャリティー企画として絵画制作活動を続け、個展を開いたりとしているようです。

鬼塚勝也の経営するジムとは?

鬼塚勝也さんは、引退後、1999年6月に地元・福岡市にボクシングジム「スパンキーK・セークリット・ボクシングホール」を開設。

選手育成を主眼に置かないボクシングホールとして活動し、ジムの中で、アート作品を展示して、アトリエのような空間を演出。

その後、数多くの絵画を出典し、賞も受賞する腕前に。

2011年1月には絵画初個展『RED CORNER』を東京のギャラリーで開催。オープニングでは大勢の来場者でにぎわった。
5月『文化人、芸能人の多彩な美術展2011』に出展。
10月『ベストジーニスト』受賞。ベストジーニストアワード授賞式にはデニムを貼付けたサンドバックと2Mの巨大な絵画を出展
11月『ベストデビュタントオブザイヤー(アーティスト部門)』特別賞受賞。授賞式にて絵画を出展。
2012年5月『文化人、芸能人の多彩な美術展2012』に出展。
2013年5月 ボクシングホールとストーンマーケットギャラリーの2会場にて個展を同時開催。
5月『文化人、芸能人の多彩な美術展2013』に出展。
12月 地元 北九州にてアート&フォトコラボ展『FRIEND SHIP』を開催。
2014年5月『文化人、芸能人の多彩な美術展2014』に出展。
8~9月 鬼塚勝也ファイティングアート展(福岡市内で20部屋を使った大規模な個展を開催)
2015年2~3月 『続鬼塚勝也ファイティングアート展』(福岡市内で大規模な個展を開催)
2015年5月 『文化人・芸能人の多才な美術展2015』に出展。
6月 STOMPIN’NITE GP BOWL-真我-LIVE会場にて絵画を展示

(引用元:ウィキペディア)

 

鬼塚勝也の個展、お値段は、大人1千円とリーズナブル

個展の入場料は、大人一人1000円〜とリーズナブル。

鬼塚勝也の絵画【画像】凄すぎた![芸術が爆発する瞬間]

さて、気になる実際の絵画ですが、鬼塚勝也さんが自身のフェイスブックに掲載しているものがこちらです。
言葉にならないくらいの芸術性を感じます。これが元ボクサーのものとは思えませんね。

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引退後、ケガによってボクシングができなくなってしまったエネルギーをここにかけているのでしょう。
グローブを脱いでも、筆に変えただけ。そんな鬼塚勝也さんが素敵です。
「芸術は爆発だ!!」

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