辻一弘氏の芸術魂が爆発した名言、孤独な少年がオスカー受賞までの作品と経歴。

第90回アカデミー賞の授賞式が4日(日本時間5日)、米ハリウッドで開かれ、京都出身でロサンゼルス在住のアーティスト、辻一弘氏(48)が日本人初オスカー。その作品を見ると、毛細血管の一部まで丁寧に施され息を吹きかけた作品たちが。作品事例と受賞歴とともに辻一弘さんの経歴について、まとめました。なんでも幼少期は、両親とはなかなかうまくいっておらず、一人芸術に明け暮れた少年時代があったようです。また、高校卒業後は、『絶対にこれがやりたい』と特殊メイクに惹かれていったという。その経歴とこれまで手がけた作品、名言についてまとめました。

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『絶対にこれがやりたい』と思ったんです。その瞬間、いままでやりたかったことは全部忘れてしまって」
(引用元:直前!「米アカデミー賞に最も近い日本人」辻一弘|世界屈指の特殊メイクアーティストになるまで

辻一弘氏の芸術魂が爆発した名言

高校時代の辻一弘氏は、1984年映画『アマデウス』で老サリエリの特殊メイクを担当し第57回アカデミーメイクアップ賞を受賞した巨匠ディック・スミスの弟子である。彼が、ディック・スミスの精神を受け継ごうと決心したのは、高校生の頃。まさに芸術が爆発した瞬間。

特殊メイクは、1990年代当時、養成学校のような教育機関は整っていなかった。
それでも、辻一弘氏が特殊メイクの世界で生きていこうと決めた。

「夢があったら、他人の意見を聞かないように。自分の人生は自分で決めないと後悔する」

そう、決意し、挑み続けた世界で、ようやく巨匠に追いつくことができた。

辻一弘氏の作品とそれらを生み出した過去の経歴について、一体どのような半生を送ってきたのだろうか。

辻一弘氏|日本人初のアカデミー賞メイク・ヘアスタイリング賞を受賞。

『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』で主演ゲイリー・オールドマンの特殊メイクを担当した辻一弘氏が、第90回アカデミー賞メイク・ヘアスタイリング賞を受賞。

こちらがその映画予告。

1940年、第2次世界大戦初期。ナチス・ドイツの勢力が拡大し、イギリスにも侵略の脅威が迫っていた。連合軍がフランス・ダンケルクの海岸で窮地に追い込まれるなか、英国首相に就任したばかりのウィンストン・チャーチル(オールドマン)は、ヒトラーに屈するのか、戦うのか、究極の選択を迫られる。(映画は3月30日公開)

そして、実際にこちらが、特殊メイクを施す前と後のウィンストン・チャーチル。白黒写真からまるで息を吹き返したようなリアルさを追求。

ゲイリー・オールドマンは、

「これができるのは、世界でたった一人の男しかない。それがカズヒロ・ツジだ。彼は日本人のアーティストで、実は、映画ビジネスからすでにリタイアしていたんだ。なぜなら、俳優は特殊メイクのために何時間も座っていられないから。しかし、僕が直接、『プリーズ、プリーズ、プリーズ』とお願いをしたんだ。この仕事の後は、再び(現代美術)アーティストに戻ったと思うよ」

(動画は、2:55〜)

と、語り、実は映画ビジネスから手を引いて、現代美術の分野へと転向していたという辻一弘氏に懇願して、この作品が出来上がったというエピソードがある。ただその製作時間は、顔だけに3時間以上かかり、全身を含めて4時間弱。12時間の撮影をした後に、特殊メイクを取るのに1時間かかったとか。(参考元:アカデミー賞に向けて!映画の「ちょっといい話」。ゲイリー・オールドマンが辻一弘を説得して特殊メイクをお願いしたエピソードを披露。

辻一弘氏のプロフィール。|作品事例と主な受賞歴

辻 一弘(つじ かずひろ)さんは、1969年5月25日京都府出身の日本人特殊メイク・アーティスト。現在はロス在住。96年に渡米し、『猿の惑星』『メン・イン・ブラック』など数々のヒット作の特殊メイクを手がけ、2012年以降は現代美術家として活動。


(出典・参考元:直前!「米アカデミー賞に最も近い日本人」辻一弘|世界屈指の特殊メイクアーティストになるまで

辻一弘氏は今回のノミネートが3回目。前回2回は共同ノミネートで、映画『もしも昨日が選べたら』(2006年)エディ・マーフィ主演の『マッド・ファット・ワイフ』(2007年)がある。他にも、数々の映画でノミネート作品を手がけていた。


映画『もしも昨日が選べたら』(2006年)

2008年 アカデミー賞ノミネート “マッド ファット ワイフ”
2007年 アカデミー賞ノミネート “もしも昨日が選べたら”
2002年 Local 706 Union賞受賞 “猿の惑星”
2002年 イギリスアカデミー賞ノミネート ”猿の惑星”
2001年 イギリスアカデミー賞受賞 “グリンチ”
2001年 Local 706 Union賞受賞 ”グリンチ”

しかし、2012年頃より、映画ビジネスからは引退し、現代美術部門へ転向。
毛細血管の一部にまでこだわったという作品は、本物を生き写しにしたかのようなリアルさ。

(出典元:【元特殊メイクアーティスト】辻一弘のアート作品のまとめ【現代アート】

ただ、これまでの経歴をみれば、決して順風満帆とは言えなかったよう。

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辻一弘氏の経歴|父親が酒飲み、母親が口うるさく。幼少期一人で芸術に明け暮れた日々。

実は、辻一弘氏の両親は、父親が酒飲み、母親は口さがない性格だった。そのため幼少期は、、1人きりでスケッチや彫刻、昆虫採集に費やす。また、生まれ育った京都というのは、彼にとって特別な地で、「本音と建前」の文化から、「人を信用するのが難しかったんです」と話すように、人と接することが少なかったよう。

そこで、一人芸術に向き合う中で、高校生の頃、特殊メイクに目覚めることに。当時は特殊効果に興味があり、毎週末のように書店に通っては、雑誌棚で何か面白い情報がないか探していたという辻一弘氏。

特殊メイクの巨匠ディック・スミスが、俳優をアブラハム・リンカーンに変身させた写真に驚き、これを作ると決め、その日から彼は、石膏や歯科用硬質石膏、発砲スチロール、ラテックス、粘土などあらゆる材料を集め、独学で特殊メイクを始めたよう。

▼ディック・スミスと配偶者Jocelyn De Rosa、妻との間には二人の子供がいた

▼ディック・スミスは、2014年に老衰のため亡くなられているが、主な作品には、1984年映画『アマデウス』で老サリエリ(F・マーリー・エイブラハム)の老けメイクを担当し、第57回アカデミーメイクアップ賞を受賞している。

何ヵ月か試行錯誤を繰り返した後、ディック・スミスと文通する機会があり、「いまは特殊メイクのいい学校がないから、自分自身で練習するといい」と、アドバイスを受け、1990年代は、傷や死体のモデルを作る仕事を引き受け、代々木アニメーション学院でメイクアップの講師となります。ただ、自分の夢を叶えずにほぼ同年代の生徒に特殊メイクを教えていることに、憤りを感じ、自身も特殊メイクを現場で実現するようになったという。

特殊メイクは今でこそ、メジャーですが、当時はまで新規開拓の時代。
自分の進む道を他人の助言なしに、信じ抜き、先進的に意欲的に取り組んだからこそのオスカー受賞につながったのではないでしょうか。

(参考元:直前!「米アカデミー賞に最も近い日本人」辻一弘|世界屈指の特殊メイクアーティストになるまで

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