横田めぐみさんは、金正恩の日本語教師か「金一家の秘密を知りすぎた」

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産経新聞は29日、元工作員の金賢姫(キム・ヒョンヒ)が、韓国国内で産経新聞のインタビューに応じ横田めぐみさん(53)について、生存情報を確認したとして「生きている」と強調していると報じています。さらに、拉致の目的や、帰国できない理由についても口を開いています。一部メディアでは、金正恩と横田めぐみさんは、親子なのでは?などと噂もありますが、実際には日本語教師だった可能性があり、帰国できない理由は、「金一家の秘密を知りすぎた」ためと語りました。

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横田めぐみさんの生存確認か?!帰国できない理由は、「金一家の秘密を知りすぎた」ため

 1987年の大韓航空機爆破テロ事件の▼実行犯・金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員(55)が産経新聞のインタビューに応じました。金元工作員は拉致被害者の横田めぐみさん(53)について、生存情報を確認したと強調。

 また、北朝鮮が横田めぐみさんの死亡を主張する理由や生きているのにもかかわらず帰国できない理由については、横田めぐみさんが金正日(キム・ジョンイル)一家の日本語教師を務めるなどして、「公開しては困る秘密を知ってしまったからだ」だとし、「一番は金正日一家との関わりだ」との見方を示しています。

 さらに、金正恩(ジョンウン)朝鮮労働党委員長が幼少時に日本語を学んでいたことから、金一家の子供たちを対象に横田めぐみさんは、日本語教師として、工作員教育に関わった可能性を指摘。

出所・参考:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171129-00000066-san-kr

 もし、この証言が本当だとしたら、北朝鮮が死亡と主張する理由と生存報道が錯誤する節も納得ができます。横田めぐみさんが拉致されてから40年。まずは、家族の40年を振り返っていきたいとい思います。

横田めぐみさんと家族の40年を振り返る〜拉致から現在まで〜

今から、約40年前、昭和52年(1977年)11月15日横田めぐみさんは、当時13歳。

出所:http://www.rachi.go.jp/jp/ratimondai/yokuwakaru/vol1.html

新潟県新潟市にある新潟市立寄居中学校からの下校途中に自宅付近から忽然と姿を消しました。

▼現中央区西大畑町、新潟大学付属新潟小学校前にて失踪

出所:http://www.rachi.go.jp/jp/ratimondai/yokuwakaru/vol1.html

その日の夕方、クラブ活動のバトミントンの練習を終えて帰ってくるはずでしたが、いつになっても帰ってこないことを心配した両親が捜索願を出しましたが、目撃者も遺留品さえも見つからないまま。

出所:http://www.rachi.go.jp/jp/ratimondai/yokuwakaru/vol1.html

歌うのも、絵を描くのも大好きで、習字やクラシックバレエも習っていたという横田めぐみさんは、家族にとって、まるで太陽のような存在。その日から家族の様子は一変し、夜になると、お父さんはお風呂で泣き、お母さんも、また家族に分からないように一人で泣いていたと言います。

母の横田早紀江さん手作りの服を着て家族旅行に訪れためぐみさん。弟の拓也さん、哲也さんとともに笑顔があふれる =昭和50年

出所:http://www.sankei.com/premium/news/171014/prm1710140025-n3.html

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翻弄された40年!「1時間だけでもいいから会いたい」

「 まだ、生存の可能性がある」

 翻弄されながら、過ごした40年間。

 両親にとっては、長かったことでしょう。

 北朝鮮の工作員に連れ去られたという情報が入ると、平成9年(1997年)1月21日、横田めぐみさんのお父さんの滋さんとお母さんの早紀江さんは、実名報道に踏切り、国会でも大きく取り上げられました。

 平成14年(2002年)9月17日、「めぐみさんが生きている」との情報をつかみ、小泉総理大臣(当時)は北朝鮮を訪問。そこで、当時の金正日国防委員長は「横田めぐみさんは、この世にはいない」として、拉致を認め、さらに、横田めぐみさんは死亡したと伝えました。

 北朝鮮側の説明によれば、横田めぐみは1986年に夫とされる金英男と結婚し、1987年に一児(キム・ウンギョン)を出産するも、1994年4月に入院先の病院で自殺、1997年に火葬したということです。

 しかし、2004年11月の日朝実務者協議を通じ、横田めぐみ本人の「遺骨」として提供された骨の一部はDNA鑑定の結果、別人のDNAが検出されます。

 さらに、帰国した拉致被害者たちの証言によると、1978年(昭和53年)8月18日から1980年(昭和55年)頃まで平壌市内で曽我ひとみさんと同居していた他、生存が確認されるような情報も出てきました。

 「亡くなった」

    ーいや、「生きている」

 そんな情報が飛び交う中迎えた2017年の11月15日。

 両親の滋さん(85)と早紀江さん(81)は、40年となる節目を迎えたこの日、報道陣を前に会見を行いました。会見には、このところ体調が優れず集会などに姿を見せていない滋さんを、早紀江さんが体を支えるようにして椅子に座らせる姿が印象的でした。

 その中で、早紀江さんは

「私たちは普通のおじいさんとおばあさんでしかないんです。『めぐみちゃんだ』とわかる間に1時間でもいいから会いたい」

引用:http://digital.asahi.com/articles/ASKCH34W5KCHUTIL008.html
と、話しています。

 どうか、1時間でも会える日を心からお祈りします。

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