11月29日(木)「直撃!シンソウ坂上」2時間SPでは、「放浪記」でんぐり返しが有名、「日本一愛されたお母さん」とうたわれた森光子さんを取り上げます。死因は、肺炎による心不全。ジャニーズや東山紀之さんと遺産分与の関係?2度の離婚歴があるという彼女、旦那(夫)さんの名前や画像はある?離婚原因は何だったのか?

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森光子プロフィール「放浪記」でんぐり返し

森光子さんといえば、ジャニーズのカウントダウンコンサートにもしばしばゲストとして出演されるくらいジャニーズとは縁の深いことで知られていましたが、特に元少年隊の東山紀之さんとの仲は有名でしたね。森光子さんって、どんな人だったのでしょう。

  • 本名  :村上 美津(むらかみ みつ)
  • 生年月日:1920年5月9日
  • 血液型:B型
  • 活動期間:1930年~2012年11月10日(92歳で死去)
  • 生まれ :京都府京都市
  • 所属事務所:東宝芸能→ 吉田名保美事務所→ オフィス・モリ

テレビ、映画、舞台にと幅広く活躍された森光子さん。1961年から日比谷芸術座で「放浪記」の主演をつとめ、2009年にはなんと上映2000回を超えるという偉業を成し遂げています。

▼「放浪記」初演の貴重動画


初演の際には、その体当たりな演技が注目され「芸術祭文部大臣賞」も受賞しました。劇中での「でんぐりがえし」も注目されていましたが、2008年に健康を気遣い封印することになった際は、本人もとても残念がっていました。

しかし、長く続けるためと受け入れたのです。最終的には通算2017回もの上演記録を達成した森さん。80代になっても休むことなく舞台に出続けられた女優魂は、本当に素晴らしいと思います。

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森光子【旦那2人や子供の名前/画像は?】

1947年(昭和22年)、27歳の時、ジャズ歌手として進駐軍キャンプへの巡業も行っていたという森光子さん。そこで森を見初めた日系アメリカ人2世の米軍属リチャード・ウエムラさんからプロポーズを受け1度目の婚約。

しかし、芸能界に未練があった森さん。相手の国に行くことが決まっていたのでしょう。仕事をとった森さんは、決まっていた渡米をキャンセルし、日本に留まることを決意。

ウエムラさんは結局婚姻関係を結んでから、わずか1週間後にハワイに帰り、短い結婚生活は終わりました。

「生きることより仕事」森さんのモットーらしい生き方でした。

2度目の結婚は、1959年。当時、テレビディレクターの岡本愛彦氏と結婚しますが、1963 年に離婚しています。

岡本愛彦さんとは?

岡本愛彦(おかもと よしひこ、1925年10月11日 – 2004年10月24日)は、日本の映画監督、テレビドラマの演出家、ジャーナリスト。

朝鮮黄海南道生まれ。NHKをへて、ラジオ東京(現東京放送,TBS)に入社。テレビドラマ「私は貝になりたい」「いろはにほへと」を演出し、芸術祭大賞を連続受賞。

フリーとなり,「愛の化石」「ボク,走りたい」などの映画や社会派ドラマを制作。明星大教授、大阪経済法科大教授。著作に「テレビよ,驕(おご)るなかれ」など。


岡本愛彦さんは日本統治時代の朝鮮半島生まれであり、「朝鮮分断の最大の責任は日本帝国主義にある」との歴史観を持っていて、『ボク、走りたい!』、『世界人民に告ぐ!』などの、日本における在日朝鮮人をテーマにした映画監督を担当したと言われます。

離婚の原因は、夫婦のすれ違い。森さんは、当時「放浪記」の主演に抜擢されており、家事をなおざりに。13歳で両親を亡くして、生きることに必死だった、せっかく掴んだ「放浪記」の主演の座、手にしなければ、一生後悔したでしょうね。

ただ、森さんは、夫を愛しており、別れないでと手をついてお願いしたこともあったみたい。今でこそ、女性の社会的活躍は良かれとされていますが、当時は、難しかったでしょうか。

いずれも、子供はいなかったみたいです。

画像については、現在、調査中です。

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森光子【ジャニーズ東山紀之とは不倫関係?】

そんな、森さんと東山さんとは、どんな関係だったのでしょうか?

東山紀之さんといえば、1985年に「仮面舞踏会」でデビューした少年隊のメンバーで、瞬く間にトップアイドルになり、田原俊彦さんやしぶがきのジャニーズ独立後、近藤真彦さんに次ぐ2番目の兄貴分として不動の存在になりました。


少年隊が1986年にNHK紅白歌合戦に出場した時、審査員をしていた森光子さんが東山さんに「あなたのファンです」と告白したことがきっかけで知り合うことになったそうです。

当時東山さんは20歳、一方の森光子さんは68歳でした。森さんは2回の離婚を経験し、お子さんもいなかったからでしょうか。二人の関係を「友達以上、恋人未満」と称していたようです。東山さんも次のように言っていました。

「森さんの一言がなかったら、ソロとしても活動も、もうちょっと遅かったのかなと思う。初めて(1986年)紅白歌合戦に出た時、森光子さんが審査員で、舞台袖で『私はあなたのファンなんです。踊りが大好きなんです。』と言っていただいた。(スポーツ報知より抜粋)

東山さんにとっても、森光子さんがいなければ少年隊としてもソロとしても活動ができなかったというくらい「大切な存在」だったのですね。

東山さんと遺産分与の真相については、以下の記事で書いています。

森光子【遺産20億、子供ではなく東山紀之に譲る関係!認知症だった?】

2018.11.29

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